【縁側じかん vol.6】「諦める」のは悪いことではない?語源を知ると捉え方が180度変わる話

【縁側じかん vol.6】「諦める」のは悪いことではない?語源を知ると捉え方が180度変わる話

まるで縁側でお茶をしながら雑談するように、出雲SPICE LAB.代表の山田健太郎がおしゃべりをする連載『縁側じかん』。ライターの塩冶恵子が聞き手となり、健ちゃんがそのとき一番話したいことを自由に話してもらいます。

今回は、最近新たに発見したという「諦めるの語源」について、嬉しそうに共有してくれました。

親友との再会

このまえ東京出張にいったとき、高校時代からの親友のキョロってやつと4~5年ぶりに会えることになって、お茶したんよ。

僕は彼からめちゃくちゃ影響を受けてて、自然が好きになったのもキョロの影響なんやけどね。人生の節目だったり、悩んでる時期だったり、要所要所でずっと関わり合ってる大切な友人で。

そんなキョロと久しぶりに会って「最近どう?」みたいな話をしててさ。

──うんうん。

その中で、最近はもういろんなことに目移りしなくなったなっていう話になって。昔は結構、「NPOっていいな」とか、「山岳ガイドってめちゃくちゃかっこいい!」とか、「農業もやりたいな」「でも会社でバリバリ働く経験もしておきたいな」とか…なんかいろいろやってみたかったのよ。

──若いときって特にそうかもね。

そうやね~。どの方向にも可能性があるような気がして、全然選べなくてさ。それで僕の場合、今思えばしょうもないんやけど、「人からどう見られるか」を軸に選んでたんよね。

そうやってずっと“他人軸”で頑張ってきたけど、だんだん「違うな」って思うようになったり、失敗もしたりして、ようやく解き放たれてきたというか。今は自分らしい選択ができるようになってきたなと思ってて。

──自分軸で選べるようになってきたんだね。

そうそう。そんな話の流れで、冗談まじりに「もういろんなこと諦めたわ」って僕が言ったのよ。「諦めなければ今ごろ武道館でライブしてたのにな」とか言いながら(笑)

そしたら「諦めるって、いい言葉だよね」ってキョロに言われてさ。「え!?」みたいな。「諦める」って、頑張ったけどできなかったから仕方なくやめる…とか、ネガティブなイメージしかなかったから。


諦めるの語源は「明らかに見る」

で、キョロが教えてくれたのは、「諦めるの語源は“明らかに見る”なんだよ」って話で。僕らはそういう話も大好きやからよくするんやけど(笑)

自分の能力とか、性質とか、周りのことも含めていろんな物事が、年月や経験を経ていくごとに明らかに見えてくる。そうすると、自分のやりたいこと、やりたくないこと、出来ること、出来ないこと…いろんなことがちゃんと判断できるようになるんよね。

明らかに見たうえで、「これはもうやらない」って判断する。それが「諦める」の意味なんだよって話をキョロがしてくれて、めちゃくちゃ衝撃を受けてさ。

──元々持ってた「諦める」のイメージとかなり違うもんね。

僕、自分でできることが限られすぎて、スタッフさんとか地域の人とかにめちゃくちゃパスさせてもらってて。昔は全部一人でやらなくちゃと思ってたけど、それは無理だなって気づいて、最近は得意な人にお願いするようにしてるんよね。

本当は自分でやるべきなのに人にやらせている…みたいな気持ちになっちゃうところもあったんやけど、「自分のことも周りのことも、明らかに見えてきてるんだね」ってキョロが言ってくれたときにめちゃくちゃ救われて。フッと心が軽くなったんよね。

──いい話。

「本当は僕がやるべきなのに」と思いながら人にお願いするとモヤモヤするけど、「この仕事は僕よりも○○さんのほうが得意だから」とか、「○○さんはこういう作業が好きだから楽しみながらやってくれる」とか。そんなふうに考えると、お互いにとって無理のない良い形だよなって思えるようになった。

やから、最近はどんどん自分を諦めようと思ってるんよ。もちろんネガティブな意味じゃなくてね。自分を明らかに見ていって、より自分がやるべきこと、やりたいことに集中していけたらいいな。

***

一見ネガティブに聞こえる「諦める」という言葉。語源を知ることでポジティブな捉え方に変わったことが、健ちゃんにとってものすごくワクワクする発見だったことが伝わってきました。

それにしても、こんな話ができる親友がいるって素敵だな。

次回の縁側じかんも、どうぞお楽しみに!

取材・文 塩冶恵子

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