【縁側じかん vol.8】「稼ぐこと」から逃げていた僕が、お金に向き合おうと思えた理由

【縁側じかん vol.8】「稼ぐこと」から逃げていた僕が、お金に向き合おうと思えた理由

まるで縁側でお茶をしながら雑談するように、出雲SPICE LAB.代表の山田健太郎がおしゃべりをする連載『縁側じかん』。ライターの塩冶恵子が聞き手となり、健ちゃんがそのとき一番話したいことを自由に話してもらいます。

今回のテーマは「お金」について。きっと、共感する人も多いんじゃないかなと思います。それでは、どうぞ!

「大事なのはお金じゃない」と逃げていた自分

今日は、「お金」について話したくて。

──お金。大事なテーマだね。

うん。最近コーチングの中でこのテーマを扱うことがあって、自分のお金に対するスタンスが変わってきたことに気づいたんよね。

少し前までは、本当に苦手意識が強くて。「お金を稼ぐのって得意じゃないんだよね」とか、「いやいや、大事なのはお金じゃないし」って、自分をごまかしてたというか、“お金を稼げない自分”とちゃんと向き合うのを避けてたんよね。

それこそ、取引先に請求書を渡すときですら、なんかモヤっとしてしまって。お金について直接的にやり取りすること自体に、どこか後ろめたさがあったんよ。もう、ちょっとした“タブー”みたいな感じで。

──うんうん。

でも今思うと、その感覚の根っこには、「この商品に請求書分の価値を感じてもらえてるのかな……」とか、「この金額分の仕事の成果を出せるだろうか……」っていう不安があった気がしてて。お金をもらったのに、その分の価値を返せなかったら、自分の尊厳が傷ついてしまう。それが怖かったんだなって。

──わかる気がするなあ。

でも最近は、お金のことにちゃんと向き合って、“お金を巡らせることができる自分”になっていきたいって思うようになったんよね。


幼少期の経験で身についた、お金への苦手意識

そもそも、なんでお金に苦手意識があったのかって振り返ってみたら、やっぱり幼少期の経験が大きいなと思ってて。

ずっと両親から「うちにはお金がない」って言われて育ったんよね。もちろん、ものすごく裕福だったわけじゃないけど、かといって、ごはんが食べられないような貧しさでもなかった。

たぶん、子どもの「あれ買って」「これ欲しい」っていうお願いを、やんわり封じ込めるためのひとつの手段だったんだと思うんよ。

でもその言葉がずっと心に残ってて、いつの間にか「自分はお金を稼げない人間だ」「お金とうまく付き合えない」っていう自己認識にまでつながってたんだろうなって思う。

──お金に対するスタンスは、親の影響を強く受けるよね…。

そうなんよね。そんな自分が社会に出たときに、まず最初に向き合ったのは、「サラリーマンとして、ちゃんと十分な給料をもらえるかどうか」ってところだったと思う。

当時はそんなふうに意識してたわけじゃなかったけど、今振り返ると、すごくわかりやすいステップだったんやろうなって。

それで、リクルートっていう、わりと給与水準の高い会社に入って、このまま頑張ればどれくらい稼げるかっていう道筋も見えてきたときに……

今度は逆に、「お金じゃないな」って思いはじめたんよね。


ようやく見つけた、ちょうどいいバランス

「お金じゃないな」って思いはじめた頃から、農業とか、島根への移住にも気持ちが向いていって。お金を介在させなくても生きていける自分をつくりたい、っていう感覚がどんどん強くなっていったんよ。

でも、実際に何かを動かそうとすると、ガソリン不足みたいな感じがずっとあってさ。物事がうまく巡らない感覚というか、ガソリンが入ってない車を無理やり手で押してる…みたいな。頑張ってるのに進まない、みたいなことが、結構あったんよね。

──うんうん。

でも、「お金だけじゃない大切なものが、ちゃんとたくさんある」ってことに気づけたとき、ようやく“中庸”というか、ちょうどいいバランス感覚をつかめた気がしてて。

今の自分にとっての最適解は──お金じゃない価値をちゃんと大事にしながらも、お金のことにも正面から向き合って、手段として捉えて、使って、巡らせていくこと。

お金を稼ぐのは大事。でも、それが目的じゃなくて。

その先にある、自分たちが本当に叶えたい幸せや、会社の理想、仲間の理想を実現していくために、思想とスキルをちゃんと備えた人間になりたいって思ってるんよね。


対価をもらうことへの意識が変わった

──お金に対する思考が変わって、行動にも何か変化があった?

そうやね。自分たちが提供した価値に対して、対価をいただくことを「申し訳ないこと」じゃなくて「当然のこと」だと思えるようになったかな。

別に、自分がお金持ちになりたいわけじゃなくて。いただいたお金が、仲間の給料になったり、会社の未来への投資になったりして、ちゃんと巡っていくものなんだなって。

そうやって、前よりもお金のことをまっすぐに見られるようになったんよね。

──そっかあ、いいね。

うん。心のストッパーが外れたことで、直接的にお金を生み出す仕事も、前よりずっとやりやすくなって。たとえば、農家さんへのコンサルティングとかね。

自分が持っている価値にちゃんと値段をつけて、「僕はこんなことができます。よかったら一緒に仕事しませんか?」って、前よりも自然に一歩を踏み出せるようになった感覚があるかなあ。


自分のモノサシを持つ

──なんかさ、この社会に生きてると、「お金を稼げること」と「自分の価値」をどうしても紐づけちゃうよね。本当は、お金を稼げなくたって、価値はあるはずなのに。

そうやね。「稼げる人ほど価値がある」みたいな見方をしてしまうと、めちゃくちゃしんどくなるんよね。

今の僕の感覚で言うと、「稼げること」と「自分の価値」はイコールじゃない。だけど、自分の価値の中に「稼ぐ力がある」っていう要素は、ちゃんと組み込みたいなと思ってて。

それに、「自分はどれくらい稼ぎたいのか」っていう範囲も、だいぶクリアに見えてきてるんよ。

──ああ、それはすごく大事なことだね。

この前の「諦める」の話にも通じるんやけど、ZOZOの前澤さんとかホリエモンみたいに、“トップオブトップ”を目指して稼ぐっていうのは、もうしっかり諦めてて(笑)

でも、自分の家族とか、会社の仲間が幸せに暮らしていくには、これくらいの金額が必要で。現在地がここだから、あとどれくらい売上を増やせばいいかも見えてる。

そうやって明確になっていれば、「じゃあ具体的にどう動いていこうか」って考えられるし、ちゃんと現実的に達成できそうやなって思えるんよね。

──いくら稼ぐかを、「外側の基準」じゃなくて「自分のモノサシ」で考えられてるのって、めちゃくちゃ強いね。

そう言ってもらえるとうれしいなあ。

昔は完全に、世の中の“すごそうな基準”に合わせにいってたと思うんよ。たとえば「年収○○万あれば一人前」みたいな空気とか、「これくらい稼げてたら成功」みたいな枠組みに、無意識で乗っかってたところがあって。

でも今は、自分の暮らしとか、大切にしたい人たちの生活をベースに「これくらい必要だな」って見られるようになってきてて。そうすると、揺らいでもまた戻ってこられるんよね。

まあ、でも……自分の周りは元同僚や同期含めてすごい人が多いから、「俺、年収5000万」とか聞くと「まじで!?」とはなるけどね(笑)

──なるなる(笑)。でも、そうなりたいかっていうと、また別だよね。

そうそう。もちろんそれだけ稼げるってすごいことやし、尊敬もするけど、今の自分にはちょっと距離があるというか。仮にそのレベルを目指そうとしたら、精神的にぜったい持たない(笑)

やから、自分が「無理なく立っていられる場所」で、ちゃんと稼いで、自分なりの幸せをつくっていきたいなって思ってる。

***

私自身、「お金」については昔からずっと苦手意識があって、うまく向き合えてこなかったところがあります。

そんな中で、ひとつ壁を越えて、前に進んでいこうとする健ちゃんの姿に触れて、私もちゃんと向き合ってみたいなと思いました。

少しずつでも、自分の価値と向き合いながら。お金のことも、自分の幸せも、どちらも大切にしていけたらいいなと思います。

次回の縁側じかんも、どうぞお楽しみに!

取材・文 塩冶恵子

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